どうも、ウモゾンです。
映画のレビューをします。
核心的な部分のネタバレには配慮をしていますが、完全ではないのでご注意ください。

今回は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』です。
この作品から、サバイバルについて学んでいきましょう。
シチュエーション

想定される脅威はゾンビです。
主体はブードゥー的なゾンビですが、そこに吸血鬼の要素が加えられています。
・食欲が人間に向けられる
・噛み傷によって感染する
・弱点が頭
いわゆる現代的なゾンビ像をイメージしていれば、設定自体は受け入れやすいでしょう。
冒頭のみ、かんたんに説明します。
墓参りに訪れた兄妹が、墓地でゾンビに遭遇します。
兄がゾンビに襲われ、妹は近くの民家に逃げ込みます。
先に避難していた者たちと合流し、サバイバルが始まります。
要するに、一軒家が包囲・襲撃されるというシチュエーションですね。
登場人物たちがどのようにして切り抜けるか、これが核となる部分です。
主な登場人物は7人(+1人)で、さまざまな立場や状況が交錯します。
民家の中における人間関係の在りようもまた、大きなポイントになるでしょう。
脅威の特徴

この作品のゾンビには、ある程度の知性と運動能力があります。
・手先の所作は機敏
・小走り程度ならできる
・車のドアを開けようとする
・ブロックを使って窓をぶち破る
・火を避け、光を嫌う
道具を使う描写があることから、論理的思考能力が備わっていると考えられます。
明るさを嫌がるのは、古典的なゾンビから継承した特徴かと思われます。
途中、木に這っていた虫をゾンビが捕まえて食べるシーンもありました。
その描写から、ゾンビの執着が必ずしも人に限らないのがわかります。
たとえばウォーキング・デッド的な設定をイメージしていると、この作品での描かれ方には違和感を覚えるでしょう。
これもなかなか見ない描写で、ゾンビものの原点とはいえ、新鮮な気持ちで観ていました。
ゾンビが発生した理由について、作中では放射線の影響が示唆されていました。
しかしテレビを通じて可能性に言及している描写があったにすぎず、断定はしていないようでした。
ロメロ自身が原因にこだわっておらず、無理矢理に設定を後付けした説という説もあります。
公開当時の時代背景を踏まえれば、あらゆる意味において、納得のいく理由ではあると思いました。
考えられる対処法

主に描かれているのは、民家に籠城する状況です。
もちろん、バリケードで守備を固める作業は必須です。
作中では、ほとんどの作業を一人の青年が行いました。
彼はバリケードが破られた場合を想定し、逃げ道となる部屋を確保しています。
籠城作戦における逃げ道の確保とは、別の大きな選択肢を保有することでもあります。
しかし言い換えれば、簡単に出入りできる場所を作らなければならず、当然ながら守備はもろくなります。
作中でも「安全な地下に隠れるべき」「それだと逃げ道がなくなる」といった内容が、激しく議論されていました。
危険性の低いルートを確保できるか、恐怖が目前に迫る中で冷静に判断できるか、このふたつがポイントとなるでしょう。
さらには途中、テレビの扇動的な報道によって、移動を検討する状況になります。
事態はややこしくなりますが、結局は完全なる籠城が叶わなくなりました。
しかし作中の状況下において、移動というのはリスクしかありません。
追い詰められたならまだしも、自発的に移動するのは悪手だと思いました。
崩壊の原因

序盤に兄を亡くした妹がヒステリックに発狂し、その後はショック状態に陥りました。
ほかの登場人物も同様で、苛立ったり、戸惑ったり、冷静さを欠いている様子が見受けられます。
突然わけのわからない事態に巻き込まれてしまっては、そんな心理状態も仕方ないといえます。
しかし、各人がこれを収束できなかったことが、崩壊の原因だと僕は考えます。
非常時こそ、冷静に対応できるかどうか。
サバイバルにおいて、大きく明暗を分けるポイントはここです。
人間同士の分断や対立は、崩壊への第一歩になってしまいます。
たとえ他人であっても、共闘関係にあるならば、ひとまずは仲間として認識すべきです。
ひとまず、と書いたのは例外もあり得るからです。
人間ですから当然、何をどうしても協調できない場合があります。
とくに、守るものがそれぞれ違っていた場合、最優先事項を共有できない場合が多い。
特殊な状況下において慢性的な不和が生じると、事態を悪化させる原因に直結します。
袂を分かつ選択肢をもてるのであれば、取り返しがつかなくなる前に離れることも可能性として考慮しておいたほうがいいでしょう。
一度は観ておくべき作品

ゾンビ映画の第一人者、ジョージ・A・ロメロの作品です。
1968年に公開された映画で、言わずと知れた名作です。
初回レビューにふさわしい作品だと思って選出しました。
モノクロ映画には馴染みのない世代ですが、大変面白かったです。
冒頭シーンでのセリフは時間に関するものでした。
この情報開示は、白黒映像ならではの工夫なのかもしれないと感じました。
僕がとくに気に入ったのは、音楽の使い方です。
セリフのない時間が続いたとしても、BGMの抑揚によって感情が揺さぶられます。
登場人物については、立場や性格がそれぞれ異なっています。
メインの視点が移り変わり、主人公を断定できないのが興味深いです。
各人の際立ったキャラクターから、劇的な展開が発生します。
登場人物の人数やそれぞれに与えられた役割は、このドラマを生み出す最小要件だったのかもしれません。
あらゆるゾンビもののコンテンツが、この作品の影響を受けていることがありありと伝わります。
古典的なゾンビ像に吸血鬼の要素を付加したロメロの解釈は、もはや発明の域に達しているといえます。
もちろん吸血鬼の要素でいえば、リチャード・マシスンの『地球最後の男』は無視できません。
しかし、ゾンビという枠組みで考えたとき、強固なテンプレートを構築したのはこの作品だと僕は思います。
一度は観ておくべき作品だと思いました。
以上、ウモゾンでした。
ありがとうございました。
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